2017年06月26日

道交法に欠けているもの

道交法の目的
(目的)
第一条  この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

道交法の目的を記述したところはここしかない。
道交法はこれ以降の条項さえ守っていれば事故も、渋滞も、公害もなくなると言っているだけである。
そこには、道路を利用する国民の心構えが全く書かれていない。
ブログ子は不満である。この目的の後に、心構えを追記すべきだと考える。
もともと、道路交通は関係する人たち、歩行者、自転車、クルマ、その他作業をしている人たちなど全ての関係者に守るべき前提がある筈である。
その一つは、道路交通は誰かの犠牲、我慢によって成り立っていることを忘れてはならないということ。
つまり、人が歩くことであっても、お互いに邪魔になることがある。また、通行があるだけでも気になる人もいる。クルマに至っては、遠慮無くどこでも入ってくるし、騒音、振動、排気、粉塵をまき散らして沿道に迷惑を掛けている。
交通は権利かも知れないが、迷惑が前提だということを、道交法ではどこにも謳っていない。
人は行動するとき何処かに迷惑を掛けているのである。
ことに、交通の現場で顕著なのである。
まずは、道路交通は迷惑を掛けるという事を明記すべきであり、交通は減らした方が良いと説くべきである。
その2は、道路交通は全く見ず知らずの関係者のお互いの信頼によって成り立っているということが書かれていない。
機械的な保安が全くなされていないクルマは、その運転する人間が信頼に足るものでなければならない。
道交法には、このような基本は全く触れられていない。
これさえ守れば良いと無機質な条文が並び、それだけ守れば後は何しても良いと解釈されている。
極めて、割り切った考えである。
だから、世間を知らない若者はデタラメをしがちである。
お互いの信頼、赤信号では必ず止まる、制限は守る。合図する。
信頼に足らない運転者は交通の現場から退場させるということも明記されていない。
お互いの信頼という極めてあやふやな前提に成り立っているということを示すべきである。
思いついたことだけを書いてみたが、
道路交通は中途半端に発展してきてしまっていると、強く感じる。






posted by トロント at 15:29| Comment(1) | TrackBack(0) | ここが変だよ道交法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
少なくとも、現行の免許制度が甘過ぎだと思います。安全意識の低いものは免許を与えない。免許保有者に公共交通並みの安全教育、これを進めるしか無いと思います。
Posted by SU at 2017年06月28日 22:19
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