2014年09月16日

自動運転はクルマ社会を変えるか その20

この連載も20回になりましたのでそろそろ終わりにしたいと思います。
まとめとして、
自動運転車は蒸気船、蒸気機関車、ガソリン自動車、航空機と進歩してきた従来の輸送手段の歴史に新しいページを追加するものとなると思います。
自動運転はあやふやな人の判断で操作する旧来の機器ではなく、ロボットの時代を象徴する先進的で画期的な技術なのです。
自動運転車は車輪を履いていますが、室内で歩行するロボットと基本的な制御技術は何ら変わりません。そして細かい制御をしにくかった内燃機関による動力とは違って電気を動力とする電気自動車と極めて親和性の良いものです。つまり、自動運転はこれからの時代をリードしていく技術なのです。
電気自動車はバッテリーの容量が少ないと否定的な意見を言うメーカー系守旧主義者がいます。それも良いではないですか。なんで人間が運転というクルマの面倒を東京から大阪まで8時間もの間みなくてはならないのでしょうか。そういう長距離移動は新幹線に任せれば良いのです。
クルマは本来の短距離移動手段に戻っていくと思います。
他人との見栄の張り合いの道具にクルマが好まれることもなくなると思います。
クルマは利用のためのものとなっていくのです。
そしてクルマメーカーはロボットメーカーに変貌するのです。
この新しいトレンドがクルマ大国のアメリカから興ってきたことに脅威を感じます。
実用化の最初は幾多の困難に遭遇するか分かりません。失敗も沢山でると思います。しかし技術は必ず困難を克服していきます。1960年代に二足歩行ロボットは漫画の世界でした。今やロボットが立ってダンスを踊る時代なのです。
交通事故と言われるクルマが不完全な道具、機械であるがために起こる悲劇は自動運転で必ずや克服されると確信しています。
ブログ子が今怖れていることは、メーカーとクルマ狂が自動化を運転の自由が失われると詭弁を使って抵抗すること、行政官庁が難癖を付けて既得権を守ろうとすること。さらには自動運転と在来車の混在期にドライバーがわざと接触事故を起こして反対運動を起こすことです。
でも、我が国はアメリカの方針には絶対に逆らえません。アメリカがやるといったら必ず従わざるを得ません。その時に変な規制を行政が作らないように監視する必要があると思います。
自動運転はまだまだ解決しなければならない事が山ほどあります。とくにクルマ社会に向いていない我が国(狭い道路、駐車スペースなど)に無理に普及させてきた部分が壁になる可能性があります。
でもブログ子は必ず自動運転がクルマ社会を一変させると信じています。
書きたいことまだまだありますが、これでシリーズを一旦終了させて頂きます。
ご愛読ありがとうございました。



2014年09月13日

自動運転はクルマ社会を変えるか その19

今回も昨日の続きです。
クルマを持ちたい理由の一つとして、時間の制約を受けないでいつでも利用できるという特徴があります。
鉄道でもバスでも運行時刻が決められています。利用するにはその時間に駅、停留所などに着いていなければなりません。おまけにその時間に遅れると無情にも置いてきぼりとなってしまいます。そうなると予定到着時刻より前に着いて待つという行為が必要となります。それを煩わしく感じる人がいることは理解できます。昔は田舎の駅に1時間も前から待合室で待っているお年寄りをよく見かけたものです。
それに対してクルマはいつでも動かせます。不意に思い立ったときに出かけられます。そこが最大のメリットだとし、加えて、昨日取り上げた自分の私的空間が移動できるということをもう一つの大きなクルマのメリットだとしている書物もあります。
確かに小さなお子さん連れで行楽に出かけようとすれば、急き立てないと列車に間に合わなくなる事も考えられイライラすると思いますが、マイカーなら出発を若干遅らせれば良いだけで、乗り遅れてしまう心配はありません。また、急に思い立って出かけるときにわざわざ時刻表に当たる手間もありません。列車、バスのない深夜でも出かけられます。そして確実に座れるかどうか心配する事もありません。
これらのメリットが都市部でもあえてマイカーを持ちたがるモチベーションなのでしょう。逆に裏返せばこれらのことが公共交通機関の最大のデメリットだと思います。
このデメリットに対しては鉄道、バスなどが運行頻度を上げ、もっと輸送需要変動にフレキシブルに対応するなどの努力が必要だと思います。
ただ重大なことを皆さんは忘れています。クルマは出かける時間は自由なのですが、到着する時間は全く保証できないということです。これは大変なデメリットです。
もし重要な約束があったときは、充分早く出発するか、道路混雑の起きない夜間を選ぶとかの制約が生まれます。このことはドライバーに精神的肉体的な苦痛を与えます。また遅れてしまうと到着時間に間に合わそうと急ぐため交通事故の誘因ともなっています。
よい例が、朝の通勤です。都内では10q先の目的地に電車なら15分ぐらいで正確に到着します。一方クルマだと1時間ぐらい掛かることもおかしくありません。それも走ってみなくては到着時間が分からないのです。だから電車通勤のサラリーマンは朝ギリギリまで寝ていられますが、クルマ通勤だと45分以上早起きして出発しなくてはならないのです。まして渋滞に巻き込まれたときほどつまらなくイライラする時はありません。ましてその間、新聞も雑誌も本も読めない全くの無駄時間なのです。車内から逃げられませんし前方は注視しなくてはなりませんから、精々ラジオのくだらないタレントの会話を聞くか、好きな音楽を聴くぐらいの選択余地しか残されていないのです。クルマメーカーは、この拘束時間を如何に快適に過ごさせるかということを必死で考え工夫してきました。でも道路を増やすしか解決策はなかったのです。
ここで、自動運転車は一つの大きな救いになります。Googleはこの拘束からドライバーを開放して、もっとクリエイティブな活動をしてもらうために自動運転を導入すると言っています。これは大変な朗報です。
ドライバーは運転しなくて良いのですから、仕事の準備、レポート作り、勉強など何でもできます。勿論居眠りで睡眠不足を補うことも出来ます。
しかし、到着時間だけは自動運転でも保証できません。ここだけはクルマ社会が絶対避けられないデメリットなのです。公共交通機関特に鉄道はクルマ社会のこの弱点をもっと突くべきです。
クルマ社会は一見、移動の自由を生んだかのように見えますが、その実、逆に自由を謳歌するための不自由と新たな制約を生み出したのです。
クルマが本当に便利かどうかもう一度考えてみる必要があると思います。
この稿続く。


2014年09月12日

自動運転はクルマ社会を変えるか その18

今回は少し観点を変えてクルマを持ちたいと思う理由について考えてみたいと思います。
その理由について挙げてみると、
昔クルマは偉い人、お金持ちのステータスシンボルでした。戦前昭和13年当時輸入車で現在の価格に換算すると数千万円もしていたと豊田章一郎氏が書いています。だからクルマを財産として考える人は今でも多いと思います。
しかし最早クルマは高価な財産ではなくなってきています。メーカーはコモディティ化を怖れて高級車を売ろうとしていますが、コモディティ化はドンドン進みます。それに拍車を掛けるのは自動運転車だと思います。
これまでのブログで、クルマに残された唯一の自由は速度を自由に選べること、そしてそれに夫随する加速性能だけだと説明してきました。その速度が自動でコントロールされてしまうのですから、操縦の楽しみなんか当然ありません。ロードスポーツなんかできなくなるのです。400馬力のスポーツカーなんか必要なくなります。こうなるとそういう性能を誇示してきたクルマが売れなくなることは明らかです。こうなると、隣と張り合って高いクルマを持つなんて馬鹿げてきます。都市部でカーシェアが主流になると思うのはそういう理由からです。
もう一つ。クルマを持ちたい理由として見知らぬ人と同席したくない。というわがままな気持ちがクルマを持たせるという意見があります。芸能人なんかはそうでしょうね。もう一つ、クルマは自宅の延長、自室だというオタクっぽい考えの人もいます。
自動運転車になった時に、こういう人たちがどう反応するか、メーカーはどうするか。非常に興味があります。
この稿続く。




2014年09月11日

自動運転はクルマ社会を変えるか その17

昨日の続きです。
自動運転が普及すると究極的には自動車を運転する職業がなくなる可能性があります。一番よい例がタクシーの運転手です。
タクシーの運転手は他の運転に携わる職業と違って、ただお客の言うとおり目的地にクルマを走らせお客を届けるだけです。言い方は悪いですがその価値はクルマ操縦だけで、人がやらなくてはならない他の付加価値が全くと言ってありません。その価値観は友人に目的地まで送ってもらっても何ら変わりないのです。
こうなると自動運転車が普及してきたら、ユーザーの選択は当然運転手のいない人件費の掛からない安い方に向かいます。その結果タクシー運転手という職業がなくなる可能性があるのです。同様に運転代行業もなくなると思います。
現在のタクシー運転手の労働環境は長時間拘束で大変厳しいモノがあると聞いています。そのために事故を誘発している側面も在るのではないでしょうか。高齢化社会でタクシーの運転手のなり手も減っていくと思います。
タクシーの運転手は自動運転車で個人または少人数の団体を観光名所に案内し説明をする観光ガイドの役目に変わっていくのではないでしょうか。
自動運転でクルマ社会が大きく変わるだろうと思える一つの例です。
この稿続く。


2014年09月10日

自動運転はクルマ社会を変えるか その16

昨日の続きです。
今度は損保業界はどうなるでしょうか。
もともと自動車保険は交通被害者の救済のためにあったはずです。ところがいつの間にか事故を起こしても保険があるから大丈夫とドライバーの安心のためのものとなってしまいました。
実際、悪質な運転者が居るから保険料は高いのです。
それが、自動運転になると、悪質な事故が激減する可能性があります。
こうなると、自賠責保険などの存在価値が少なくなってきます。
損保業界は自動車関連の保険で相当儲けてきているはずです。
この業界は絶対損をしないように国に保護されていますから。これがなくなると大変です。
早くも業界では対策の検討を始めたと報道されています。
こんなところにも、自動運転の未来が関係しているのです。
この稿続く。