2016年05月23日

ペダルの踏み間違いに想う

とにかくアクセルペダルとブレーキペダルの踏み間違い事故が多い。
とくに高齢者にその事故が目立つ。
私は最近実際に運転してみて、それはアクセルペダルとブレーキペダルの高さの違いにその原因があるのではないかと思い立った。
一般にブレーキペダルの方がアクセルペダルより浅い、つまり手前に飛び出している。段差があるのだ。
つまりブレーキペダルを踏み込んでやっとアクセルペダルと同じ深さになる感じである。
ということは、通常右足はアクセルペダルを踏んでいるだろうから、この二つのペダルの踏み替えは、右膝を曲げて足首を手前に引きつけ左に移すか、または、踵を床に付けたまま、足首を手前に強く曲げつま先を浮かせて、左にひねる動作が必要となる。そうして、右足の裏を浅いブレーキペダルに載せ替えるのである。
これを、緊急の場合に咄嗟に行わなければならない。
若ければ、こんな動作は簡単至極であろう。
ところが問題は高齢者である。
高齢者は段差のある敷居で良く蹴つまずく。階段の段差も危ない。つまり自分は膝を持ち上げた、足首を持ち上げたつもりで、実際はつま先が上がっていないのである。筋力の衰えと、感覚の衰えがその原因であろう。
これと同じ失敗がペダルの踏み替えに起こっても不思議でない。
本人は膝を曲げた、足首を持ち上げたつもりなのにそうなっていなければ、当然足はアクセルペダルにある。
ここで思い切ってブレーキを踏むつもりで踏み込んだらどうなるか。
結果は火を見るより明らかである。
ここにも、クルマが高齢者向きでないという理由が見付かる。
あくまでも身体機能が壮健な人が前提なのである。
こういうことを解決しようとしないで、高齢者の運転を許す行政とメーカーの責任はないのであろうか。
大きな問題である。




2014年11月02日

悲惨な交通事故はなぜ無くならないか11

交通取り締まりを見ていていつも感じることであるが、警察は本気で取り締まってはいけないという約束があるとしか思えない。速度違反にしても、駐車違反にしても何か取り締まることに妙な遠慮が感じられる。TVの特集番組なんかを見ていると違反した方が威張っているようにさえみえる。捕まえた方がお客さんに対応するような丁寧な対応をしている。そこまで卑屈にならなくてもと思うが、あれはTV取材だから特別か。いや、かなり真実の姿であろう。命がけで捕まえても違反切符を切ってそれでおしまい。違反切符を切る時に一悶着。悪態をつかれても、先生役だから我慢。悪質でも事故でもなければ刑務所にぶち込めるわけでもない。これではやる気も無くなる。よく役目が続くと感心する。
何故そういうことになっているかというと、厳しくすると国民全てが犯人になってしまうからだと言う。犯罪白書にハッキリ書いてある。本音は本気で取り締まる気持ちは無いのである。いや、取り締まってはいけないのかも知れない。なぜか。それは暗黙の了解、クルマ社会の発展と擁護のためであろう。まあ、言ってみれば、やらせなのである。茶番だ。皆うすうすそれを感じ取っている。
なのに、たまに真面目に取り締まりをやるから、ゆるゆるなのに取り締まりノルマ達成のためだと反感を持たれる。それだけなら良い、レーダ検知器やら、取り締まりマップ、言い逃れ方のノーハウ本などが売られているが、どういう理由かなんの手も打っていない。そんなわけで一部の若者達は露骨に反感の態度を見せる。ネットでは悪態のオンパレードである。
こうなってくると、むしろ交通警察が可哀想になってくる。
この国の特徴である本音と建て前。暗澹たる気持ちになってくる。


2014年10月29日

悲惨な交通事故はなぜ無くならないか10

今度は交通取り締まりの面から見ていきましょう。
ブログ子は道交法が教科書だと前から感じています。
道交法は道路を利用する人、自転車、クルマがお互いに安全に通行できるための教則の羅列であって、その精神はあくまでも善意が前提で、この法は刑法のように犯罪者の罪を罰することを目的にするものではありません。まして交通の円滑という目的も貫かれており、このことからクルマが走ることが先で安全を最優先にしていないことが明白です。
当初はそれだけだったのですが1960年代の公害反対運動の影響から、やっと道路交通による障害を防止するという狙いがしぶしぶ付け加えられましたが、その指導は殆ど盛り込まれていません。
道交法は教科書ですから必ずしも守らなくても良いわけです。実際、守らなくても事故になるとは限りません。例えば、免許不携帯です。シートベルト着用もそうです。でもそれが昂ずると誰もこの法を守らなくなるので、守らないと罪になるとして罰則がついています。
でも、その精神は教育的指導の範囲です。そこから全ての問題が発生してきました。例えばひき逃げです。道交法では被害者救護の義務を定めただけで、ひき逃げ行為自体は犯罪ではありませんでした。
また、この法の罰則自体を骨抜きにしようという動きも1950年代の終わりにありました。主体はタクシーのドライバー達です。ここから、罰則がより軽くなる反則金制度が生まれました。違反して捕まっても裁判所に行かなくて済むようにしたのです。
道交法は教科書ですから先生役がいります。先生ははっきり警官以外がやってはいけないと書かれています。だから、違反をしたドライバーを捉まえても市民は何の指導も出来ません。
こんなところから、違反をしても警官にさえ見付からねば良いという考えが生まれてきます。また罰則が反則金制度で軽くなったため、気軽に違反をするようになりました。
さらにおかしいのが、違反をして警官に見付かり、追いかけられて逃げまくっても大した罪にならない事です。もともと逃げるという悪意に基づく行為が考慮されていないのです。後に追加されましたが集団で暴走行為することも長い間罪ではありませんでした。
これらの事実は何を意味しているでしょうか。ハッキリ言いましょう。
道路交通法はクルマの円滑な通行を本旨とし、クルマの運転者は全て善人であるという前提なのです。こんな現実離れした法の精神はあって良いのでしょうか。
このような、浮き世離れした道交法の精神から悪質な違反、悲惨な事故が生まれてきたのです。



2014年10月28日

悲惨な交通事故はなぜ無くならないか9

交通安全運動で調べてみましたら、奇妙なことに気付きました。
この運動の主催者は
内閣府,警察庁,総務省,法務省,文部科学省,厚生労働省,農林水産省,経済産業省,国土交通省,防衛省,都道府県,市区町村,自動車検査独立行政法人,独立行政法人自動車事故対策機構,独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構,自動車安全運転センター,軽自動車検査協会,(一財)全日本交通安全協会,(公財)日本道路交通情報センター,(一社)全日本指定自動車教習所協会連合会,(一社)日本二輪車普及安全協会,(一社)日本自動車連盟,(公社)日本バス協会,(公社)全日本トラック協会,(一社)全国ハイヤー・タクシー連合会となっています。まあ良く集めたものです。言っては悪いがこれだけの天下り先があるのでしょうね。
そして、協賛団体ですが、
日本自動車工業会をはじめとして、あらゆる産業、銀行、保険、損保、弁護士、マスコミ、労働組合、学校関係など149団体も参加しています。
ところがこれを見ていて気づいたのは、これらの主催団体、協賛団体の中に交通被害者関係の団体、支援団体、支援機構が一つも加わっていないことです。ブログ子は浅学でよく分かりませんが、被害者の方がこんな運動には参加したくないと断っている可能性もありますが、どう考えても不思議です。
交通安全を誰よりも願っているのが被害者とその関係者の筈です。それが全く参加していないと言うことはどういうことでしょう。素人目に明らかにおかしいです。
おまけにその期間中に被害者の声を聴く会などという企画はなくて、唯々交通警察の存在アピール期間になっています。
ブログ子にはこういうところがこの交通安全運動が形だけのものであることをハッキリ示しているのだと感じます。やってますやっていますという行政得意のパフォーマンスです。
前にも書きましたが、行政は本気で事故を無くそうとは思っていません。産業発展のためにはクルマが絶対に必要であるという前提です。だから自動車は危険な道具だという印象を出来るだけ国民に与えないよう工夫しています。そして、事故死ゼロが達成出来るとも端から思っていません。だから運動期間中に交通事故死者が出ても何の反省、その対策も発表されません。運動期間中に事故死者が出たからと言って警視総監が責任を取って辞任するなどと言うことは全く考えられないことです。この意図的に無責任な行政の姿勢に一番の問題があると思います。






2014年10月27日

悲惨な交通事故はなぜ無くならないか8

交通安全運動のスローガンの看板が道路の真ん中に立っているのをよく見かけます。
例えば「優しさが、走るこの街、この道路」確かに標語としては秀作でしょうが、如何にもドライバーの厚意にすがっているようで、卑屈な印象があってブログ子は気に入りません。
昔の秀作、「飛び出すな、クルマは急に、止まれない」。これだって歩行者の方にだけ注意を促す標語です。
このように交通安全協会の主導している安全運動は、クルマとの共存を強調したものですが、本音はクルマ優先です。
だから、クルマが危険な道具であることを訴え、本質的な事故を減らすで手段である。クルマに乗るのをやめましょう、クルマを買うのはやめましょう。減らしましょうという強い呼びかけはしていません。
我が国にはこういう裏のある行政指導が良くあります。
こんな標語募集や、たった年2回の安全運動で悲惨な交通事故がなくなるとはとても思えません。
行政の本音はクルマ社会を進展させたいだけです。出来るだけクルマ事故の悲惨さから目を背けさせ、その利便性だけを広めようとしています。
これでは、悲惨な事故はなくなるわけはありません。