2016年02月23日

アイコンタクト作戦の危険性

ここのところ立て続けに東京で2人の小学一年生が信号のある横断歩道でトラックに轢かれて亡くなった。
これを承けて警視庁は横断するときはアイコンタクトをせよと盛んに言い出した。
でもこのアイコンタクト本当に安全なのか。
元々クルマは鉄の箱に囲まれていて外界とコミュニケーションを取ることが難しい。本当に限られた手段しかないのである。特に前方に対しては不十分と言っても良いだろう。
使える機器はヘッドライト、警笛と方向指示器だけしかない。これだけで運転者の意志を外界に伝えるのだから心許ない。全く不十分なのである。
歩行者横断中の事故で、一番怖いと思うのがクルマが歩行者を見つけて止まってくれるかどうかが分からないことである。
そこで、運転者の目を見て確認せよというのだが、怖いことに、そこには決めごとがない。
目が合ったら必ずクルマが止まるというなら安心である。ところが止まるかどうかの約束はどこにも決められていない。あうんの呼吸が頼りなのである。こんな危ないことはない。
事実、目が合って、歩行者が、「では渡って良いのだな」と思ったとき、ドライバーが「目が合ったのだから歩行者が横断を見合わすだろう」と思ったらどうなるだろうか。間違いなく事故になる。
ブログ子も若い頃、工場内で同じアイコンタクトで大失敗をして、他人に怪我をさせてしまったことがある。
この時は、ある機械をテスト中で立ち会っていたのだが、機械のオペレータが動かしたり止めたりしていた時、たまたま停止している機械の中を被害者が通り抜けようとしたことから起きてしまった。
そのとき被害者の目とブログ子の目が合ったのだが、こちらは「今動くもしれないから待て」、向こうは「通って良いですね」、と別の解釈をしてしまった。そして被害者が機械に中に足を踏み入れたときオペレータが知らずにスタートボタンを押してしまった。
余談であるが、こういったとき人間はとっさに非常停止ボタンを押せないことを知った。このオペレータは茫然としてしまって緊急動作ができなかった。ブログ子が危険を叫んでやっと我を取り戻し非常停止ボタンを押した。結果は軽傷で、被害者が誤解をした自分のミスと証言をしてくれて助かったが、一歩間違えば大事故になりかねなかった。
このようにアイコンタクトは極めて危険なのである。ブログ子は、あの時声さえ掛けておけば良かった、なぜ声を賭けなかったのだろうか、とその後悩み続けた。
クルマの場合、さらに声を掛け合うこともその構造上難しいのである。
まして、クルマが先に止まってくれるかどうかは実際に止まった結果を目視確認できなければ分からない。確かにクルマの中から手のひらで「どうぞ」とやってくれるドライバーも居るが、それも希である。
そして、このアイコンタクト、フロントグラスが反射してドライバーの目が見えないことがざらにある。曇天は勿論、夜間はまず見えない。これも大きな問題である。
そして最大の問題は小さな小学校一年生に大人のドライバーとのアイコンタクトをせよと言う指導である。そんな大人同士でも難しいことを7歳の子供に強要するのかと腹が立ってくる。
大きなダンプの運転台を見上げて、止まってくれるかどうか判断なんかできるはずがない。子供は判断に迷う。逆の動作をしてしまうことすらある。どだいそんなことをやらせようと思うことに無理がある。
アイコンタクトに救いを求めるとは警察には最早打つ手がなくなったようだ。
一つには、クルマという構造に大きな問題があることは間違いない。外界ともっとコミュニケーションが取れる仕掛けを考案するべきだ。でなければ、歩行者とクルマの平面交差を無くすこと。完全歩車分離信号は一つの解決策である。今のところコストが余り掛からないことからいえばベストであろう。
早急に全国に普及させるべきだ。
それでも信号のない横断歩道は救われない。
クルマシステムの無限の闇は何時までも明るくなりそうもない。


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2015年09月17日

未成年者の事故に想う

最近の報道を見ていると、再び未成年者の大事故が増え始めているような気がする。
免許制度は極めて経済活動との親和性が高く、産業界の要請でその取得可能年齢が決められてきた背景がある。
例えば最も低い取得年齢は16歳。運転出来るのは排気量の小さいオートバイ(普通二輪、原付)、耕耘機(小型特殊)である。これなんか道交法が定められた昭和30年代には、中卒で蕎麦屋の出前が出来なくては困るとか、中卒で農作業をさせたいといった経済的な理由があっと思う。現在、その殆どの中学生が高校に進学する時代に、この制度が合わなくなっていることは明らかである。結果として高校への通学にオートバイを利用して何故悪いとなる。先生も法を楯に運動されると抑えきれなくなって認めざるを得なくなる。
普通自動車、大型二輪は18歳。これも高卒ですぐクルマを運転する職場で働かせるための経済界からの要請であろう。
このように、運転免許制度は経済界の要請を強く受けているのである。
さて、若者、特に未成年に見られる一般的な特徴には、何事も未経験で何でも知りたい、何でもやって見たいということがある。飲酒、喫煙なんかは一番良い例で、違反承知で誰しも大人の真似をしたがる。
また、世間も若者だから少しは羽目を外してもいいと寛容な立場を取ってきた。だから、大人しか出来ないクルマの運転をやってみたくて仕方が無い。早く免許取得年齢にならないかと待ちきれず無免許運転をする者も出てくる。また、善悪の判断が付きにくいのも若者の特徴である。
そして、若者は失敗するのが普通だ、失敗しても良いのだ、失敗が勉強だという社会通念がある。大目にいてやれと大人は言う。ここに大きな問題を孕んでいるのである。
また、若者はまたその身体の発達がピークに掛かるから、身体中にエネルギーが溢れてくるため、それを発散したいという気持ちになる。それをスポーツの場つまり、野球場、運動場、体育館でやってくれれば何の問題も無いのだが、道路上でそれを発散したくなる。
クルマという機械は、たとえ本人の運動能力が劣っていて、スポーツの場では劣者とされていた若者にも、平等にその強力な能力の行使を保証する。いやむしろ劣者だったからこそクルマという機械の力を得て自分も力があるのだ、運動能力があるとアピールしたくなるのである。
また、皮肉なことに運動神経抜群であった若者が必ずしもクルマの運転が上手いことに繋がらない。プロスポーツの選手が良く事故を起こすのがその証拠である。だからスポーツ劣者であった若者が路上では天才ともなり得るのである。だから、高校時代、ひ弱でへなへなしていた若者がクルマで猛スピードで走り回り、そのくせ意外に事故を起こさないで喝采を浴びるということもありうる。ところが、若者全員がそうではないことに注意が要る。誰しもがドライバー向きでは無いのである。
そんな背景を理解すると、未成年者に運転免許を与えると、事故が起きやすいことが分かるであろう。
何でも経験をしてみたいという若者らしい好奇心と善悪の判断が付かない精神的未熟が、人間の身体能力の何十倍もの能力が発揮出来る機械と組み合わさったとき、必ず間違いが起きる。間違いを起こすなと言う方が無理である。失敗は若者に許されている特権だから大目に見てやろう。それも良い。しかしその失敗が人の命を奪うものであったらどうか。それは安易に許されることではないだろう。一方、若者は社会的な訓練がされていない。事故、違反で逃げようとするのがその例である。逃げれば見付からない。極めて浅はかな考えである。
このように、若者にクルマの運転をさせることはあらゆる面から極めて危険な行為なのである。
これを防ぐには、保安機構のメカニズムで対策するか、免許制度の方で対策するしかない。
問題は、経済活動の方である。免許年齢を引き上げることには経済界から猛反対が出るであろう。
クルマの問題は経済活動と結びついているだけに解決が難しい。ここが悩ましい。




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2014年11月27日

悲惨な事故を無くすには18

トヨタがやっと全車に衝突事故回避ブレーキを装備すると発表した。
ここに象徴されるように、今までクルマメーカは乗員だけを守ることだけに注力してきた。ボディの補強、シートベルト、エアバッグ、ASBなど枚挙に暇がない。
つまりは米国型の車対車の事故を想定した対策ばかりである。それをディーラーが、さも安全ですよと宣伝しながら売りまくってきたのが実情。
それがやっとクルマ対人に目が向き出したのだ。
とは言っても、元々はクルマ対クルマの追突防止だが、それでも車外のことに気を遣うようになったことは大きい変化である。
元来、日本では道路事情が違うのでクルマ対人事故対策を最優先の開発テーマにすべきだったのだ。
このことを無視してクルマを売りまくってきたメーカの罪は重いと言わざるを得ない。


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2014年11月25日

悲惨な事故を無くすには17

飲酒運転に関するモータショーでのパネルディスカッションの議事録を読んだ。
いつも思うことだが、行政に携わる人たちは、どうして重箱の隅をつつく議論ばっかりしているのだろうか。
例えば、アルコール検知器のクルマへの装着だが、先ず出てくるのが、酔っ払い運転をしない大多数の人にそんな装置の取り付けを強制することは出来ないという。そして、必ず検知の抜け道が出来るから、それを完璧に防止できる装置が出来るまでは手を打てないともいう。また、アメリカではその装置取り付けは飲酒常習者だけだから、その考えを導入したら、我が国では刑罰の軽減になってしまうなどとも言っている。
どうして、こう細かいことに拘るのだろうか。出来るところからやっていけば良いではないか。法科出身者は完璧になるまで何もしないようである。これではその間に何人もの死者が出る。
義務付けだって、今でもクルマには滅多に使わない装置が一杯ついて売られているのだから、強制すれば良いだけである。
もう一つ心配なのは、医療関係者の発言。アル中は飲みたくて飲んでいるのではないから、厳罰にすると立ち直れなくなる。厳罰はやめて欲しいという。
こういう考えの人たちが、交通安全をリードしているとしたら、怖ろしいことである。
危険運転致死傷罪ができてよかったと心から思う。


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2014年11月24日

悲惨な事故を無くすには16

今日はインセンティブについて。
ソニー損保では来年の2月から優しい運転をすると保険料を最大20%キャッシュバックするという自動車保険を売り出すと広告している。ドライブカウンターという計測器をクルマに貼り付けて、急加速、急減速の回数と運転時間を計測するようである。この保険が成功するかどうか分からないが、このような運転の仕方に具体的な金銭のインセンティブを付加するという試みは評価されて良いと思う。お役所仕事では全く不可能な発想である。
警察を中心とした精神論強調だけでは事故は減らせないことは明白。いままで丁寧な運転をすれば金銭的なインセンティブがつくようなことは全くなかったわけで、現実に保険料が安くなるとなれば、丁寧な運転を心がける向きも増えるのではないか。今後の事故削減に寄与することを期待したいと思う。
posted by トロント at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 悲惨な交通事故を無くすには | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする