2016年09月07日

郊外と都市の道路交通の違い(6)

郊外のクルマに対する依存はやむをえないモノがあると感じる反面、そのドライバーが都市にそのままクルマを乗り入れると都市交通問題を悪化させることは、前回述べたとおりである。つまり分かりやすいたとえで言えば靴は履き替えないといけないということ。靴を履いて歩いてきてそのまま畳敷きの家屋の部屋に土足で入るという感じだろうか。それが出来ないのがクルマユーザーなのである。自分の乗ってきたクルマを目的地に横付けしたい気持ちは分かるが、それが都市の交通事情を悪化させているのだ。ここの所に考えるヒントが隠されている気がしてならない。
一方、都市生活者にとってクルマは本当に必要なのであろうか。確かに、緊急自動車、介護施設のクルマ等はその必要性を否定しない。問題にしているのは各家庭のマイカーである。昭和40年代の初頭、クルマメーカーが猛烈にマイカーを宣伝し売り込んだ。そこには何の規制も自粛もなく、売りたいだけ売りまくるという姿勢だった。その頃の道路交通インフラは歩行者を基準としたものであり、道路は狭く、駐車場は未完備、個人宅の車庫さえ未完備であった。それなのにクルマだけは売りまくったのである。
当然軋みはあちらこちらに出た。道路は大渋滞。駐車違反は至る所。でも行政はマイカー総量の規制といった手段には出なかった。唯々クルマの増加に合わせてインフラの増強に努めたのである。市電を廃止し、道路を新設し、道路を拡幅し、駐車場法を作ってビルに駐車スペースを増やした。そのために、各都市は昔の人中心の姿を失っていった。そこには利権に結びついた建設国家というこの国の特徴があり、外国のようにソフトで解決しようという考えはなかった。
都市生活者のマイカーが全部動き出したらどうなるか、東日本大震災でその一部が垣間見えた。都市の道路はクルマで埋め尽くされ全く用を成さなくなってしまったのである。そこまで行かなくてもいい、東京都環状8号線などの幹線道路では毎朝深刻な渋滞が発生して無駄なエネルギーを消費している。それはそうである、米国の都市では片側6車線などという巨大な道路を作っても渋滞が起きるのである。それが片側2車線でこの国では一級の幹線道路なのである。
こうなってしまった背景としてのクルマメーカーの規制なき販売競争については、強い疑問を呈せざるを得ない。また、それを前提としてインフラ建設に邁進してきた行政にも同様の疑問を呈したい。

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2016年09月04日

郊外と都市の道路交通の違い(5)

今まで述べてきたように、郊外と都市ではクルマに対する考え方がだいぶ違っている。
郊外では自家用車は重要な輸送機器である。現代のように分刻みの細切れの時間感覚に慣れてしまっていると、とても30分などと言う時間は待てない。そして30分も歩いて通勤通学などということも耐えられなくなっている。おおらかだった過去には最早戻れないのである。駅で1時間に1本などと言う列車を待てないのである。それで地方鉄道は生き残っていけなくなってきている。現代人は自分の行動を交通機関の制約に合わせることが出来なくなっているのだ。この傾向はどうやったって後戻りできないであろう。
仕方のないクルマ依存。ただそこには前提がある。
道路に他車が殆どいない、駐車スペースがふんだんにある。クルマで走っても歩行者がいないというのがその前提である。
一般に郊外の環境ならばそれに近いところも多いであろう。
ブログ子が米国の田園地帯で感じたことがそれであった。歩行者が居ない、横断歩道もない、駐車場は大きい、そんな道路環境だった。
であれば、クルマ社会もやむをえないであろう。(高齢者ドライバー問題はここでは取り上げない。)
ただ、我が国では歩行者が道路を共用するのが歴史的な経緯であり、また国土の狭さからそうせざるを得ない側面も在る。そうなると、常に歩行者との衝突・接触事故を意識せざるを得ない。
しかしその対策は。今のところ未完成と言わざるを得ないと思う。横断歩道橋のように歩行者を苛めるような施策は以ての外である。
ただ、その対策がないままにクルマ事故ばかり増えてきたことを何も感じないとしたらなおさら問題である。
その、郊外のドライバーも都市に入っていくと、その利便性が一変する。
クルマの本質的な欠陥、場所を取るという特性がもろに牙を剥くのである。
道路は渋滞し、駐車場は満杯、これでは、30分を惜しんでクルマで移動してきたのに何の意味もなくなってしまう。渋滞で予定時刻に遅刻するから、30分早く家を出る。何のためにと馬鹿馬鹿しくなる。郊外のドライバーはこんな矛盾した環境の中でクルマを保有し運転しているのである。
といって、地方都市に通わなくてはならない郊外の住民も多いと思う。
そこで、パーク・アンド・ライドなどと言うやり方で鉄道と共存を図っている郊外もある。
ブログ子はこういう短距離のクルマの使い方が本来の使い方だと思っている。クルマで何百キロも移動するのは安全性から言ってやめた方が良い。
ただ、駅の回りは歴史的に言っても歩行者が多いところである。列車時間に間に合わないと焦って人と接触する心配は依然として残る。
とはいえ、郊外のクルマ利用は解決策があるような気がしてならない。道の駅のように歩行者が行けないようなところにショッピングセンターを作るのでなく、鉄道駅を中心としたまちづくりがもう一度考えられないのであろうか。全国から鉄道網が消える前に考えておきたい課題である。


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2016年09月02日

郊外と都市の道路交通の違い(4)

都市部におけるクルマの価値観は郊外とだいぶ違うような気がする。
郊外ではクルマは輸送機器としての色彩が濃いと思う。
しかし、都市部においては輸送機器としての効用は少ない。むしろ財産としての側面、見栄の側面が大きいのではないかと思っている。勿論、トラックなどは除いての話である。
都市部では高度成長期以降、マイカーという宣伝文句に乗せられて、どんな家庭でも一台所有することが常識となってしまった。各戸が一台のクルマを所有しようとしたのである。
そこに、他人との差別を付けたいという気持ちが絡んで、少しでも高級車を所有したいという気持ちが生まれた。隣より高級車を持っている、それが自慢とされた。隣より金持ちの証でもあった。
だから、高級外車、高級スポーツカーなどが好んで売れるのも都市の特徴であろう。
しかし、都市部の地価は高い。だから、狭隘な敷地にも無理矢理車庫らしきスペースを確保するようになったが、車庫入れに高等な技術を必要とする惨めな自宅の車庫が多いのも実情である。
では、クルマの稼働効率と言えば、殆ど車庫で眠っているのが実態。大抵の都市の企業はクルマ通勤を認めていないからである。また、公共交通機関が発達しているため、どこに出掛けるのもそちらの方が便利だからである。そういう意味ではクルマは全く非効率である。
もっとも、都市住民が皆クルマ通勤通学したら大変なことになる。とても道路と駐車場のキャパシティがもたない。更に都市部は駐車料金も高い。毎日クルマで通ったら破産する。
休日になると一斉にクルマを動かすことになるが、道路、駐車場のキャパシティがオーヴァーフローする。都心部でも大型商業施設周辺はクルマが大混雑となる。駐車待ちに1時間などというのはざらである。
東京のような都市は盛り場となるとその集客数は半端ではない。新宿のようなひとつの狭い地域に100万人ぐらいが集まってくる。とてもクルマで出掛けられる場所ではないことは明らかである。
このように、都市部でクルマは役に立たないことが多い。
極端に言って、都市生活者はクルマ社会に騙されている。クルマは必要ないのだ。
一方、先に述べたように、クルマは都市においてはステータスシンボル、他人とふれあわずに移動できる輸送機器、セキュリティのためのものといった使い方がされている。これも都市の特徴かも知れない。


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2016年08月29日

郊外と都市の道路交通の違い(3)

今までは郊外のクルマ依存について述べてきた。今回は都市の問題について述べたい。
都市部でクルマに乗るのは基本的に罪悪である。
郊外のところで少し触れたが、交通が集中すれば渋滞、駐車問題が必ず発生する。
都市の場合、元々人口集中地域なのだから住民の誰もがクルマを使用すれば大変なことになる事は明白なのだ。それを、回避しようとしたら途方も無く広い道路や、あらゆる場所に駐車場が必要となる。
これが、モータリゼーションの始まった初期の段階で明らかだったことである。
だが、この国では,殆どクルマ社会のためのインフラの下地はなかった。
これは、郊外においても都市部においても同様である。
ただ、より始末の悪いのは,都市部の方だ。
道路の拡幅には立て込んでいる家屋が邪魔になる。そこには人が住んでいるのだ。
そのため、必ず立ち退き問題が発生した。旧来の町並みがどんどん破壊されていってしまった。
無味乾燥なだだっ広い道路があちらこちらに出現した。
それでも、解決にならない。基本的に都市の開発に制限が課せられていないからである。
ある地域が急に発展する。そこに交通が集中する。慢性の渋滞が発生する。インフラとして手の打ちようがない。時間を掛けて道路インフラを整備する。その間の経済的な損失は計り知れない。
ところが、そんな無計画な破壊と建設を支持し、生業とする人々も沢山いるのだ。
そんないたちごっこで、60年経ってしまった。
これが都市部の道路交通の特徴である。




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2016年08月24日

郊外と都市の道路交通の違い(2)

昨日は、郊外の住民もクルマに乗って行動することで、都市の問題に巻き込まれることを書いた。
この一点集中の問題は、クルマ利用の利便性を一気に損なうものである。
クルマ利用が便利なのは大前提として交通の集中が起きないことである。クルマの集中が起きると渋滞、駐車場所の不足が顕在化してくる。幾ら土地があっても一箇所に集中したら堪ったモノではない。
それ故,大型のショッピングセンター、レジャー施設には大規模駐車場が付きものになっている。
それでも、そこに入るために1時間待ちなどという馬鹿げた無駄が生じてしまう。
そして降りてからも10分歩いてやっと建物に入れるという不便を凌がなければならない。
渋滞も同じである。目と鼻の先に見えるところに行きたいのだが、それが10分もかかってしまう。歩行者がとっくに目的地に着いてしまうという呆れたことが起こってしまうのだ。
つまり、クルマの有効活用が図れるのは、クルマが少ないことに尽きる。
郊外で移動するのに重宝がられる理由はそこにあるのだ。
クルマが多くなれば一遍にその魅力は薄れてしまうのだ。
ところで、その郊外でクルマの走る道路の状況はどうであろうか。
未だに狭い道路が多いのが実情だ。
郊外の道路は,元々歩行者だけが利用していたものが多く、クルマの走行を意図していなかった。
だから、歩行者が今でもそこを通らなければならないことが多い。大抵住宅も道路に接している。
山間の集落などはそれが顕著である。
ところがそこへ、クルマが走り込んでくる。
また具合の悪いことに、クルマの少ない場所である。道路は狭いがスピードは出せる。
都市部と違って信号、横断歩道が整っていない。いや、路側帯も明確でないところも多い。
クルマが少ないから歩行者は余りクルマのことを意識しない。
これが、人身事故の原因となる。
一方で、郊外は幹線道路に苦しめられているところも多い。
周辺の住民のクルマは少ないのに通過交通ばかりやたらに多いのである。
この幹線道路を横断する高齢者が危険にさらされることが多い。
何しろ、道路がなければ目と鼻の先に見えるところに行けるのに、大回りさせられることも多いからである。
幹線道路は郊外の住民もクルマで使っているので、悩ましい存在である。



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